質問したいのですが・・・。
オユ12 7は昭和34年4月23日、上り急行「明星」の最後尾に連結されており
真鶴〜根府川間の江ノ浦トンネルを出た時点で土砂崩れの直撃を受け大破、
現場近くの側線で現地解体されたのですが、
郵便車不足から翌昭和35年3月に製造元の汽車会社で車体が新製され、「二代目」が出現しています。 製造銘板は「昭和33年」と「昭和35年」の二枚が取り付けられていた、とのことですが・・・
なぜ、このような現象が起こったのでしょうか?
戦後の混乱期ならともかく、国鉄は基本的に事故廃車の場合は代替は新製して新車扱いにするのがふつうなのですが・・。 ご存知の方がおられましたらお教えいただければ幸甚だです。 よろしくおねがいします。 |